湯船と浴槽の違いとは?江戸時代の移動式銭湯から知る入浴の歴史

ふだん何気なく「浴槽」のことを「湯船」と口にしていますが、その由来や歴史をご存知ですか?  じつは「湯船」という名称は、江戸時代の銭湯文化と深い関わりがあるんです。湯船と浴槽の違いや、その歴史についてご紹介します。

湯船と浴槽の違いと入浴の歴史

お風呂のお湯を溜める場所のことを「浴槽」といいますが、「湯船」と呼ぶことも多いはずです。では、この2つは同じものを指すのでしょうか? それとも両者には何か違いがあるのでしょうか?

その1:湯船とは? 由来について


お風呂の浴槽を“湯船”と呼ぶことがありますが、一体なぜなのか疑問に思ったことはありませんか?

じつは“湯船”の名称は、江戸時代の日本に存在した「移動式銭湯」が由来なんです。

当時の「移動式銭湯」は、江戸の水辺や川を渡る小舟に浴室や浴槽を積んだ船上のお風呂のことでした。はじめは小舟にたらいを積んだ行水船でしたが、次第に改良されたのち、屋形船式の“湯船”が誕生したのです。

その2:移動式銭湯の歴史

岡山県 倉敷市 運河

江戸時代、浴室と浴槽を積んだ船が運河を巡り、銭湯の普及していない街外れに住む人々のために銭湯の役割をはたしていました。

さらには港に停留する貨物船や、船旅の乗客を相手に入浴料をとることで、商売をおこないながら繁栄してきたそうです。お風呂は船の中央に据えられていて、江戸時代後期になると入浴料4文で利用することができたのだとか。

その頃、一般的な銭湯は8文だったことから、湯船には半値ほどで入浴できたようです。お風呂上がりに船の上で涼めば、風が心地よかったのではないでしょうか。

ちなみに江戸時代の物価は1文約16.5円。湯船の利用料は4文ですから、88円程度でお風呂に入れました。江戸の大工さんは日当が1日540文、お米が一升100文、そばやうどんは16文だったそうですよ。

その3:湯船と浴槽との違い


日本の銭湯文化の一環として栄えていた湯船でしたが、一般家庭にお風呂が設置されるようになるとその慣習は途絶え、やがて“湯船”という言葉だけが残りました。

そういった理由から、現在までも浴槽のことを湯船、と呼ぶ風習があるんですね。

なお、現在の浴槽は、肩まで浸かる深さ60センチのものは「和式浴槽」、仰向けのような姿勢になる深さ45センチほどの細長い浴槽は「洋式浴槽」に分類されます。「和式浴槽」と「洋式浴槽」のあいだである深さ55センチ前後のものは「和洋折衷」といいます。

湯船文化に思いを馳せて

江戸 江戸東京博物館
常日ごろから何気なく使っていた「湯船」という言葉。歴史情緒ある意味合いが込められていたとは、驚きです。江戸時代から根付く日本の銭湯文化は、まだあちこちに散りばめられているかもしれません。

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